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はたらく細胞
公開: 2024年12月13日 公開 3週目モアナと伝説の海2
公開: 2024年12月6日 公開 4週目劇場版ドクターX
公開: 2024年12月6日 公開 4週目映画「ふしぎ駄菓子屋 銭天堂」
公開: 2024年12月13日 公開 3週目クレイヴン・ザ・ハンター
公開: 2024年12月13日 公開 3週目正体
公開: 2024年11月29日 公開 5週目室井慎次 生き続ける者
公開: 2024年11月15日 公開 7週目劇場版「進撃の巨人」完結編THE LAST ATTACK
公開: 2024年11月8日 公開 8週目うちの弟どもがすみません
公開: 2024年12月6日 公開 4週目六人の嘘つきな大学生
公開: 2024年11月22日 公開 6週目専門家レビューREVIEW
苦悩のリスト
公開: 2024年12月28日-
文筆業 奈々村久生
米軍完全撤退の期限が迫る中でカブール空港に押し寄せた人々。中には飛行機に乗り切れず機体から振り落とされる者もいた。当時数えきれないほど目にした動画。彼らの救出に遠隔で尽力したマフマルバフ監督らの心痛が、瞬時に的確な人選を決めなければならない冷静さの中で浮き彫りになる。ただし、救出リストの候補に入れる人はやはりある種の特権階級といえる。タリバン復権下で生命や人権を脅かされているのは芸術家だけではないし、芸術家至上主義のような結びにはやや疑問が残る。
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アダルトビデオ監督 二村ヒトシ
こうしている今も、どんどん人が無惨に殺されている現実。苦悩してるだけで何もできてないわけではない。人の命を助けることの役にたててはいる。かろうじて「絶望の」リストではない。だが助けることが間に合わなくて拷問をうけて生きたまま目をえぐられた人もいた。現地まで行くことはできない。家にいて、自分の平和な日常のなかでパソコンとスマホで助けるしかない。映画が終わっても「信仰」も虐殺も戦争も終わってない。分断の末、明日には我々が殺して殺されることになるだろう。
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映画評論家 真魚八重子
人命を一人でも多く救うための活動が、どれだけ素晴らしく必死なものかはわかる。だからといって、室内でひたすら電話をかける様子だけを捉えた映像を、救済のためだからといって高く評価するわけにはいかない。映画的にはなんの面白みもないからだ。「人を救う作品に低評価を与えるのか」と言われたら困る。明らかにそこには線引きが必要であり、これは映画と分類するかすら難しい。助かる人選がたまたま電話のそばにいることで決定する、残酷な運命の記録映像とは呼べるだろう。
占領都市
公開: 2024年12月27日-
映画監督 清原惟
コロナ禍のアムステルダムと、第二次世界大戦中ドイツに占領されたアムステルダム、二つの時代の街を重ね合わせたドキュメント。外出制限がかかり、店が閉まって閑散としていたり、集会に集まった人たちが警察に止められている様子は、戦時中の街の緊張感とわかりやすく重なっていく。ドイツ政府に殺されていったユダヤ人たちの暮らした場所、逃げ隠れた場所。子どもが運河でスケートをする楽園のようなアムステルダム中に、今でもその場所はあるのだということを焼き付けられる。
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編集者、映画批評家 高崎俊夫
アムステルダムにはフェルメールの《デルフトの眺望》を思わせる歴史的建造物がいまだに点在しているのに驚かされる。映画はその風光明媚な〈場所〉のディテールを切り取りながら、占領下にそこで起きたナチス・ドイツのおぞましいユダヤ人虐殺の克明な記録が延々とナレーションで被さる。S・マックイーンは平穏な日常のスケッチという〈画〉と抑揚を欠いた淡々とした〈語り〉という乖離を意図的な方法として選び取り、〈記憶と現在〉の抜き差しならない関係をめぐって瞑想に耽っている。
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リモートワーカー型物書き キシオカタカシ
“現代と過去”=“映像と言葉”を対置させるコンセプト、さらに圧倒的長尺から(敷居の高さを感じさせるという意味での)現代アート寄りの作品なのでは……と勝手に身構えていたのだが、実際は驚くほどに親密なアムステルダムという街のポートレート。個人的には教科書的知識とポール・ヴァーホーヴェンやディック・マースらの映画的記憶だけでフィクショナルに捉えてしまっていたオランダという国の歴史と現実に接続して同一化するにあたり、長大な上映時間にも確かな意味があった。
夏が来て、冬が往く
公開: 2024年12月27日-
俳優 小川あん
ドラマ的演出でプロットもありきたり。主人公の女性は恋人からのプロポーズに躊躇う。生き別れになっていた実父の死。隠されていた姉弟。人物描写が表面的で、展開が引き延ばされすぎていて、苦しい。自国の社会のひずみにスポットを当てるならば、これだけの重要なテーマを綺麗に収めてはいけないと思う。フレームに動きを加えるためだけにカメラがズームされている箇所が多くあったのも残念。完璧にすることを意識せず、作家性を探すところからトライしてみたほうが良かったのでは。
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翻訳者、映画批評 篠儀直子
演技のつけ方も話の運び方も、ところどころのカットつなぎも、もっさりした感じがしてどうにもなじめず、ついには作品のメインの主張を登場人物がそのまま口に出してしまうのでいよいよ頭を抱えてしまったのだが、風光明媚な地方都市をとらえた超ロングショットと、この土地特有の風習や儀式の描写が、作品の大きな魅力であるのは間違いない。また、これほど女子が歓迎されない社会にあって、女の子をふたりも引き取った主人公の養父はどんな人だったのか、それを思うと心を揺さぶられるものがある。
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編集者/東北芸術工科大学教授 菅付雅信
風光明媚な中国の海辺の街を舞台に、養子に出された女性が生家の家族と過ごす数日間のドラマ。大都市に生きる主人公と地方都市の対比、世代の対比などを織り込みながら、現在の中国的家族像を描く。話に大きなドラマ性があるわけではないので、映像力やモダンなセンスなどが問われる内容なのだが、デジタルカメラによるのっぺりとした映像と工夫のない展開で、あえて劇映画にする意図が見えず。撮影は中国で、仕上げ作業は日本でという中日共同作品だが、共同作業の利点が反映されていない。
私にふさわしいホテル
公開: 2024年12月27日-
文筆家 和泉萌香
彼女はいったいどんな物語を書いているのか、よく分からない。不遇のきっかけを作った作家を大恨み、手を変え品を変え名前を変え、ツッコミどころ満載で大攻撃するのはいいが、売れることを最大の目的としたヒロイン像が魅力的かといわれれば疑問。あこがれのホテルもただの権威の象徴に思えてくるし、ヒロインなりの下剋上を果たしたとはいえ、彼女もそのシステムの一員になっただけでは? 橋本愛、髙石あかりはじめ各所で登場する女優陣があざとい荒唐無稽さをチャーミングに和らげる。
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フランス文学者 谷昌親
のんと滝藤賢一の二人だからこそ成り立つ掛け合いがふんだんに見られる映画だ。とりわけのんは、自分の小説が売れるためには汚い手段にも平気で訴えるという性悪な人物を、大げさすぎると見えてしまうほどのハイテンションで演じ、コメディとして成り立たせているのは立派だし、それは堤監督の演出のたまものでもあろう。だが、主筋に付随する細かなエピソードの扱い方が雑だし、タイトルにもなっているホテルの空間が映画的に活かされておらず、めりはりのない作品になってしまった。
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映画評論家 吉田広明
芥川賞を取らせてくれと佐藤春夫に哀訴した太宰を思い出したが、そのみっともなさを含めて太宰はまっとうに文学=生を生きたと言え、そこにはイメージとしての文学などなかった。文学者たちに愛されたというホテルがまとわせるオーラのようなものは確かにあるとしても、それに寄りかかることで出来たものがまともな「表現」であるはずはないだろう。こういう使われ方では使われた方も気の毒だと思う。のんの文学臭を免れたパンキッシュな存在感が唯一の救いではある。
私の想う国
公開: 2024年12月20日-
映画監督 清原惟
パトリシオ・グスマン監督の新作は、チリで2019年に起きた社会運動を捉えている。特定のイデオロギーを持たない民衆によって、組織化されない改革運動が広まったことにまず衝撃を受ける。女性たちが主体となっていた活動も力強く、それを情熱的な視点で捉えるカメラも素晴らしかった。タイトルにも込められている、作り手の祖国への想いが映像にも乗り移っている。「チリの闘い」の時代を重ねながらも、現代の人々にかつて成し遂げられなかったことを託すような、祈りが込められた映画。
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編集者、映画批評家 高崎俊夫
50年前の「チリの闘い」以来、パトリシオ・グスマンはチリの現代史を記録する唯一無二のドキュメンタリストだ。本作は2019年、首都サンティアゴで地下鉄料金の値上げ反対の暴動が燎原の火となり、150万人もの民衆が軍隊、警察と市街戦を繰り広げるさまを描く。映画で常に可能性の中心にいるのは、家父長制を否定する4人の詩人ほか数多くの女性たちだ。監督はその痛切な声に深い共感と希望を見出している。〈革命〉というワードが現在進行形で生々しいリアリティを帯びているのも特筆されよう。
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リモートワーカー型物書き キシオカタカシ
女性中心の社会運動でチリに決定的な変化が訪れた瞬間を捉えた、希望とオプティミズムに満ちた力強くも美しいドキュメンタリー……なのだが、この作品を観ながらどうしても脳裏をよぎるのは“その後”の現実である。2022年に製作された本作が示したような価値観への反発・バックラッシュが、チリのみならず世界的な趨勢となっている事実を無視できない2024年――。パトリシオ・グスマン監督が想像した希望が単なる“記録”に終わるか終わらないかの瀬戸際であることを強く意識させられる。
キノ・ライカ 小さな町の映画館
公開: 2024年12月14日-
俳優 小川あん
フィンランドの巨匠、アキ・カウリスマキが自ら地元のカルッキラの工場の跡地を改装し、夢のような映画館を設立するまでの記録。次第に形になるにつれて、地域の文化・芸術に対する意識も同時に再構築されていく様子が描かれる。まるで映画制作そのもののように、プロジェクト自体が地元の人にとっての大きな物語になる。まるで、映画の登場人物のようにユニークな人々は自分たちがただの観客でなく、新たな文化の誕生に関わる当事者であると気づく。本作を観て、改めて映画館を失ってはいけないと強く思い直した。
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翻訳者、映画批評 篠儀直子
地方に移り住んだ映画監督が住民と活動を始めることで、その地の映画文化が豊かになる例は各国にあるけれど、本作で描かれているのもそのひとつだろうか。とはいえここには、カウリスマキを受け入れる文化的土壌があらかじめあったようにも見える。さびれて停滞した田舎町を想像してはいけない。若い女性や子どもの姿も多く見られ、新しいものが生まれそうな空気が充満している。それにしても、誰も彼もが「アキ」の名を、なんと楽しそうに口にすることか。カウリスマキ自身の変わらぬ仏頂面も最高。
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編集者/東北芸術工科大学教授 菅付雅信
カウリスマキがフィンランドの地元に作った映画館を巡るドキュメンタリー。彼自身も工事に取り組む様子やカウリスマキ組の俳優たち、ジム・ジャームッシュなども登場し、各々がカウリスマキさらには映画への思いを語る。本作はカウリスマキ監督作ではないが、独特のオフビートなムードは共通。さまざまな言語が飛び交い、日本語による古びたムード歌謡な曲が流れ、地球の辺境で資本主義から降りた人々の映画を巡る交流を慈しむように描く。スペクタクルとは対極の、オフであることの豊かさに魅了される。
不思議の国のシドニ
公開: 2024年12月13日-
文筆業 奈々村久生
敢えて不自然さを残した合成や静止画を使った描写など、デジタル以前の実験映画を思わせる表現は稚拙さや自己陶酔と紙一重だが、それを成立させたユペールの存在とジラール監督の絶妙なセンスが光る。日本の関西地方の街並みをとらえたレトロフューチャーな味わいも虚と実のあわいを生きるシドニの心象風景に似合っている。ユペールは同世代の俳優と比べても現役でラブの要素を含む作品への出演が多く、実年齢に沿って現在進行形の恋愛や性愛を演じられる稀有なキャリアと独自性が際立っている。
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アダルトビデオ監督 二村ヒトシ
逆張りっぽいことを言うけど、この映画の美点は日本人から見て変な部分を直してないところだ。恋愛とは「相手からは変に見えてる自分」を受け入れることだからだ。ただ、せっかくだから食事を(日本人の日常食を)もっと見せてほしかった。幽霊はセックスより食事に嫉妬するだろう。あとバーのシーンで酔った伊原剛志が「あなたたちが創作したキリスト教的な一夫一婦制度や恋愛のありかたは、けっきょく我々には無理です」と言い出すかと期待したが、さすがにそういう映画ではなかった。
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映画評論家 真魚八重子
日本が生者と死者が共存しているようなのは、確かに海外からはそう見えるかもしれない。死者を招き入れるお盆の風習があり、それでお祭り騒ぎもしない。広島や神戸や福島の地名が登場するように、未曾有の災厄もありながら続いている土地。そういう直感的な雰囲気にあふれた映画だ。イザベル・ユペールがお洒落な装いで、京都をさまよっているだけで絵になるから、十分楽しく観られてしまう。家族を失う孤独、アバンチュールの癒やしもありつつ、ユペール映画というジャンルの一作。
太陽と桃の歌
公開: 2024年12月13日-
映画監督 清原惟
劇映画だとわかっていながらも、どうしても桃農園を営む一家の生活に密着したドキュメンタリーのように思えてきてしまう。監督の実家が代々農園を営んでいること、職業俳優ではなく、実際にその地域に住む人々が出演していることを知り、深い納得があった。一つひとつの場面は、物語を展開させるために存在しているのではなく、ただそこにある時間の輝きがある。おじいさんがピンク色のかわいいシャツを着ているのも自然に受け入れられるくらい、演出を感じさせない演出が巧みだった。
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編集者、映画批評家 高崎俊夫
カタルーニャ地方にある小さな村で代々桃農園を営むソレ家に容赦なく襲いかかる近代化の波。地主が突然、土地を明けわたすように宣告し、桃の木を伐採してソーラーパネルを設置するというのだ。しかし映画はその波紋の広がりを社会派的な視点で激しく糾弾するわけではない。カルラ・シモン監督の自伝でもある本作の魅力は現地の素人を起用し、ドキュメンタリー的な肌合いを感じさせることだろう。彼女はゆるやかに崩壊してゆく家族を深い愛惜とノスタルジアを込めて葬送しているのだ。
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リモートワーカー型物書き キシオカタカシ
長年の地方在住かつ「サマーウォーズ」を観て「『儀式』こそが大家族のリアル」と奥歯を?み締めたタイプの人間として身構えて鑑賞。しかし誰もが身に覚えがあるような生々しい“親戚間の揉め事”すら瑞々しくリアリズムで描いた本作は、勝手な先入観に反してするりと飲み下せてしまった。ままならぬ現実とノスタルジー混じりの希望を包括したラストシーンが象徴する甘美で痛切な気分と空気は、斜陽の時代を生きていると感じる多くの人が当事者として意識できるものではないだろうか。
ソウル・オブ・ア・ビースト
公開: 2024年12月13日-
俳優 小川あん
エキセントリックすぎて、頭と心が追いつかなかった。幻想的なムードが高まって、少しやりすぎ感が出てしまってたころに (1時間過ぎたくらい) 、恋に落ちた二人がそのエモーショナルを自覚し始めてからは、急に面白くなってきた。日本語のナレーションとあらゆる類の音楽が相まってドラマチックさを主人公に突きつける。「お前はバカだ。」この映画は近づき過ぎず、俯瞰してみるのが自分にとって正解のようだ。動物の描写を解明はできなかったが、確かに心に獣の爪痕を残した作品だった。
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翻訳者、映画批評 篠儀直子
動物園から動物が放たれると同時に、登場人物のなかの野生が目覚め、獰猛さは街全体へと感染していく。そのさまを描く本作は、こんな放埓な映画を撮ってみたいと多くの者が夢見てきたに違いない作品だが、それを成就できる人間はほとんどいないし、ましてや、こんなにやりたい放題やっておきながら作品として成立させられるのは、かなりの才能のなせる業だろう。作品評価とは関係ないが、ドイツ語とフランス語、英語(そして日本語)のあいだを自在に行き来する言語空間も、分析したくなる興味深さ。
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編集者/東北芸術工科大学教授 菅付雅信
スイスのチューリッヒを舞台にした三角関係を描いた青春映画。17歳の子持ちの少年が破天荒な男とその魅力的な恋人と知り合い、彼女に情熱的に恋をする。刹那な三人と暴動状態の街、動物園から逃げ出す野生動物たちと映画は常に一触即発なスリルを持って、若者たちの「俺たちに明日はない」状態を躍動的に描く。三人の男女がとにかく魅力的でゴダール初期作のよう。カメラと編集は極めてモダンで美学的。ただし日本文化を愛する監督が意図的に付けた日本語の格言めいたナレーションはいらないかと。
お坊さまと鉄砲
公開: 2024年12月13日-
文筆業 奈々村久生
牧歌的な風景に、生年月日を「無意味なこと」として知らずに生きてきた人々。近代化の裾がようやく訪れた村のさざ波を描くにしては、驚くほど緻密に計算された画面構成とストーリーテリング。アメリカの銃社会や資本主義経済の理屈がまったく別の価値観に取り込まれていく作劇も見事。単純な二元論で語れる問題ではないところを映画的なダイナミズムで乗り切り、クライマックスではラマ教の法要の儀式という花火を打ち上げる。口当たりのいい佳作の枠に収まらない上質のエンタテインメントだ。
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アダルトビデオ監督 二村ヒトシ
アメリカ人や日本人、政治で分断が深まってるあらゆる国の国民もれなく全員が観るべき映画。高校の授業で全生徒に観せるべきとも思ったが、観せただけではダメで、観たあと少人数グループに分かれて感想を(議論にはならないよう)語りあうまでが大切。映画にでてきた勃起した男性器も非常に大切、濡れた女性器も同じくらい大切、というのが僕の感想。映画としての欠点は一点だけで、BGM入れすぎ。ラジオやテレビから流れてくる曲とクラブでかかってる曲、あとは祭礼の音楽だけで充分だった。
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映画評論家 真魚八重子
浅学で知らなかったのだが、ブータンは王朝制が独裁政治になることなく、比較的政策がうまくいっている中で、国王みずから立憲民主制に移行したらしい。鑑賞後に知って、それでこのような内容の映画なのかと理解した。王朝制で国民が不自由を感じていないのに、民主化が図られたため選挙制度に対しキョトンとしていたわけだ。他の国は人民が選挙制を勝ち取ろうと多くの血が流されてきたというのに、さすが人民の幸福度の高い国なだけはある。007が世界共通語なのは微笑ましい。
ペパーミントソーダ
公開: 2024年12月13日-
映画監督 清原惟
1960年代のフランスを、10代の姉妹の日々を通してスケッチしたような映画。女子は政治活動をするな、恋愛はするな、といった厳しい規範の中で閉塞感や生きづらさを感じる生活を、紋切り型にはまらず描く手つきがよかった。時に性的な視線にさらされる彼女たちの身体を欲望の対象として直接写さずに、性的な欲望だけを可視化しているのにも好感を持つ。写真のアルバムをめくるように、大人になった彼女たちが思い出しているような視点で描かれており、優しさと懐かしさに包まれている。
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編集者、映画批評家 高崎俊夫
急進的なフェミニストと称されたディアーヌ・キュリスの初々しい長篇デビュー作だ。時代は1963年。両親の離婚で母親とパリで暮らすことになった二人の姉妹がリセに通いながら体験する刺激的な日々が活写される。ベタつかない、クールな距離感を保つ描写の積み重ねによって、彼女たちの抱える思春期特有の感情の揺らめきが画面から滲み出す。瞠目すべき才能と言ってよい。教師の理不尽な振る舞いに女生徒たちが一斉蜂起する場面など「新学期・操行ゼロ」を想起させる素晴らしさだ。
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リモートワーカー型物書き キシオカタカシ
英語で言う“スライス・オブ・ライフ”と日本オタクカルチャーで言う”日常系”のラインが曖昧になっていることを感じる昨今。“徒然なる短いエピソードで毎回オチをつけつつ、ささやかだが決定的な変化を大きな物語として描く”『あずまんが大王』『ひだまりスケッチ』『けいおん!』といった漫画に90年代末から触れてきた者として、そんなストーリー4コマ的話法の極北が47年前のフランスにあったとは……と感嘆。男性オタクに対する忖度がないので、完全なる上位互換かもしれない。
はたらく細胞
公開: 2024年12月13日-
ライター、編集 岡本敦史
前半のコスプレ学芸会的ノリはしんどいが、後半で思いがけずハードな戦争映画然としてきてからは俄然良くなった。「ミクロはマクロに相通じる」という実感は年々強まるばかりなので、人体に起きる致命的な内乱や悲壮な抵抗運動は、地上の戦禍、あるいは壮大な循環システムをもつ地球史にも重なって見えてくる。だから、この星も自分のカラダもどっちもいたわろうぜ、と訴える教訓的娯楽作として楽しんだ。終盤の終末ヴィジョンのクオリティに、ツインズジャパン作品らしさも感じたり。
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映画評論家 北川れい子
「翔んで埼玉」の武内監督によるさしずめ“翔んで細胞”“翔んで悪玉菌大騒動”! ただ人気コミックだという原作を知らずに観たこちらとしては、CGを駆使したカラフルな体内空間を飛び跳ね、走り回るコスプレ調擬人化キャラのケタタマシサにひたすら脱力。この辺り「翔んで埼玉」と共通する。それでも武内監督は健康な体内を平和国家?に見立て、そこに入り込んできた悪玉菌が国家転覆を企てる危ない存在風に演出して話は進めているが、紅白コンビより悪玉菌たちの方が痛快なのはどうよ。
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映画評論家 吉田伊知郎
原作未読ながらアニメは見ていたので、よくぞここまで実写化できたと感心する。永野芽郁、仲里依紗、加藤諒という〈わかってるキャスティング〉が世界観を引っ張り、佐藤健も真剣に白血球になりきるので白けない。それゆえ新たに加えられた人間ドラマ部分は、極力ドラマが削ぎ落とされているものの壮大な体内世界のみを描くのは予算的にも厳しいための苦肉の策に見えてしまう。父が外で採血した血がたまたま娘に輸血されるのではなく、移植手術によって細胞移動を描いてほしかった。
映画「ふしぎ駄菓子屋 銭天堂」
公開: 2024年12月13日-
ライター、編集 岡本敦史
普通の芝居や日常的なシーンでは、記録ミスかと思うレベルでぎこちなさや間の悪さを感じさせるのは何故なのか。それに反して怪異や非日常を描くときの演出は淀みなく手慣れたもので、そこまで極端な作風だっけ?と思ってしまった。故に異界の住人に扮する天海祐希、上白石萌音は当然のごとく輝いており、一見冴えないヒロイン役の伊原六花は狂乱シーンで俄然光る。そんななか善良な凡人をひたむきに演じて好印象を残す大橋和也は、日本のコン・オニール目指して頑張ってほしい。
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映画評論家 北川れい子
中田監督による児童向けホラー? ファンタジーといえばそれまでだが、キャラも仕掛けも話も大人が観るには、ツラ過ぎる。原作はすでにアニメ化もされているそうだか、その駄菓子屋に行くと自分の願いが叶う菓子類が手に入るというゆるい安易さは、幼児ならともかく、尻がムズムズ。駄菓子屋の店主が「千と千尋の神隠し」の湯婆婆の孫娘ふうなのも、いまさら感が。子ども向けでも大人も一緒に楽しめる映画は少なくないが、本作は思いっきり大人は置いてきぼりで、天海祐希、お疲れさま。
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映画評論家 吉田伊知郎
息子と幼児番組を見るようになって一番ハマったのがアニメの「銭天堂」。人間の弱みや悪意が巧みに描かれているだけに、この監督と脚本家が実写化するならトラウマ・ジュヴナイルを期待したくなる。だが、オムニバスではなく、新人教師と関係ある人物のみで描かれるだけに、突き放したオチにも出来ず微温的になってしまう。映画なのだからクライマックスは銭天堂大爆破ぐらい見せてほしかったが。松坂慶子と見紛う天海祐希の紅子は、ここまでするなら松坂慶子で良かったのでは?
どうすればよかったか?
公開: 2024年12月7日-
文筆家 和泉萌香
家族もれっきとした他者である、という事実を頭で理解しつつも、心に定めていることができる人はどのくらいいるだろうか。統合失調症を疑われた娘を医者から遠ざけ、状況は悪化、扉には南京錠がかけられた、と文章にしてみると凄まじく強烈で、いや、ご家族の長く壮絶な日々が映されているのだが、あの花火を並んで見る一瞬間にただただ涙が出てしまった。病への理解、人と分かりあうことの困難のみならず、老い、そして死の意味をも問い、カメラという他者が冷静かつ優しく捉える。
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フランス文学者 谷昌親
たまの家族旅行などを除くと、カメラは藤野知明監督の実家から出ることはない。それでも私たちがこの映画に単調さを感じないのは、もちろん、家族の一員が統合失調症を患い、それでもその両親が治療や入院を拒みつづけたという特殊な状況があるからだが、それ以上に、20年にもわたって撮影が続けられたためだ。同じ室内で、進展のない会話が試みられる様が反復される。だが取るに足らぬように見えるその映像の連続こそが時の歩みを残酷なまでに刻印し、ついには鎮魂歌となるのである。
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映画評論家 吉田広明
統合失調症を発症した姉を、両親が自宅にほぼ軟禁状態にする。両親が医学の研究者であったことがかえって事態を複雑にしたということはあるだろうが、この対応がまずかったことは医者に見せた後の経過を見れば明白である以上、「どうすればよかったか」という問いの答えは予め出ているのではないか(自分ならそう出来たかは措き)。従ってここには、どうしようもない現実を我々に突きつけ、どうすればよかったのかと我々を問い詰めるだけの衝迫が欠けているように思える。
ファイト
公開: 2024年12月6日-
文筆家 和泉萌香
世代のせいかプロレスにはまったく明るくない私。約8年間の取材をとおして構成されたドキュメンタリーとのことだが、大仁田厚氏のキャリア初期のフッテージは用いられず、描かれるのは近年の状況と周囲の人々の大仁田にまつわる思い出や証言、彼らそれぞれの話などで、肝心の大仁田というレスラーの歴史やいまここに至るまでの輪郭が?み難い。タイトルづけされた各チャプターも有機的に繋がっているとはいえず、うちうちの記録と物語にとどまってしまっている。
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フランス文学者 谷昌親
大仁田厚の魅力が十二分に描かれているドキュメンタリー映画である。だが、映画のなかでその魅力を語っているのは、もともと大仁田厚の賛美者だった人たちであり、そうした賛美者ばかりが登場する映画なのである。大仁田厚やプロレスにさほど興味のない人間の眼からすると、どうしても内輪褒めのように見えてしまう部分があるのは否めない。自殺する若者が増えているという重要な問題にも結びつけようとしているが、そうした問題を扱うだけの材料を充分に提示しているとも思えない。
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映画評論家 吉田広明
プロレスラーのこれまでの軌跡を描くドキュメンタリーということだが、この人にまったく関心がない者にも届く作品かといえばそうではないというしかない。彼をめぐる人のインタビューを見てもこの人の存在に興味が生じることは少なくとも筆者にはなかった。映像的にも、例えば子どもがいなかったジャイアント馬場に実子のようにかわいがってもらったとのナレーションで、まったく関係のない親子の映像を流す。そんな映画。関心がある人だけ見ればいいのではないか。
大きな家
公開: 2024年12月6日-
ライター、編集 岡本敦史
養護施設の子どもたちに密着し、つとめて「普通の生活」を切り取ろうとするコンセプトはわかる。実際、不幸でも孤独でもない、生き生きとした表情や感情は多々捉えられているが、被写体の魅力と反比例して、作り手の空虚さや問題意識のなさを逆照射している感も否めない。躍動感溢れる映像や音楽はむしろ凡庸さをいや増す。後半ようやく「家庭」をめぐる固定観念が施設育ちの子たちにも染みついた日本の病理を浮き彫りにし、考えさせる内容にはなるが、少し時間がかかりすぎる。
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映画評論家 北川れい子
この児童養護施設では、幼児たちは別にして小学生になると個室に移る。一般家庭の子ども部屋と変わらない。さらに男子、女子と分かれているが、一棟に5~6人の子どもたちが職員と共同生活をしていて、職員と一緒に自分たちの食事作りをしたりも。竹林監督は、ときには叙情的映像を挟みながら、ここで暮らす子どもたちの日常を四季それぞれに記録していくのだが、監督の問いに、ここは施設、家庭とは違う、と淡々と応じる子どもが何人もいて、その本音の重さに改めて家族の不在を実感する。
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映画評論家 吉田伊知郎
過度にドラマチックにするわけでも、絆や感動を押しつけがましく作り込むわけでもなく、淡々と日常を切り取るのが良い。さまざまな事情を抱える子どもたちへの踏み込みすぎない視点は、場合によると淡白すぎると思えるかもしれない。だが、施設は実家ではなく、あくまで施設にすぎず、同居人たちは疑似家族ではなく、あくまで他人であるという当事者たちの達観した眼差しを前にすれば、こうした作りになるのも必然に思える。むしろ作為性を捨てて撮ったからこそ現れる無機質さが好ましい。
劇場版ドクターX
公開: 2024年12月6日-
ライター、編集 岡本敦史
人気ドラマの劇場版というと、やりたいことは大体テレビでやり尽くしたあとに作られるパターンが多いと思うが、これも多分そんな一本。もともとのファンには延長戦的に楽しめるだろうし、未見の観客も「こんなのがウケてたんだ」と眺める気分で退屈はしない。ただ、レギュラードラマ部分のおちゃらけぶりと、手術シーンの大真面目さのギャップには戸惑った(当然「M★A★S★H」の諷刺はない)。同業の芸達者陣に囲まれて楽しそうに演じる西田敏行の雄姿を見届けるために足を運んでもいい。
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映画評論家 北川れい子
人気ドラマと聞いて何度かチラ見をしたことはあるものの、しっかり観たのはこの劇場版が初めてなのだが、強気で冷静沈着な外科職人・大門未知子のキャラに、かなり“浪花節”的資質があるのを目撃。そうか、だからお茶の間受けが良かったのね。今回もお馴染みの大学病院を舞台にいくつもの因縁や思惑が絡んで進行、これがまた村社会的な賑々しさで、脚本も演出、演技も堂々と右往左往。冒頭のエピソードと後半の大手術は、現実にはありそうもなさそうだが、未知子の見せ場としてはこれもありか。
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映画評論家 吉田伊知郎
TVシリーズ未見につき予備知識なく接したが、各キャラが完成しているだけあって、自然と没入できる作りに安心する。往年のスターがカメラに向かって目を剥いてオーバーな演技をしたのと同じく、開腹した患者を覗き込んで目をカッと開く米倉の表情に価値あり。内田有紀とのコンビも良く、2人を見ているだけで愉しい。しかし、田中圭が米倉の故郷を尋ねて過去を探るのは唐突で、劇場版用の水増し感が強い。痛ましさなど無縁に座ったままでも躍動して笑わせる西田敏行が忘れがたい。
クラブゼロ
公開: 2024年12月6日-
文筆業 奈々村久生
ハーメルンの笛吹き男伝説を現代に移植したような、あるいは「ピクニック・アット・ハンギングロック」の系譜に連なるストーリー。ミア・ワシコウスカの硬質な佇まいが教師という立場の特殊性と潔癖な思想に説得力を与えている。思春期は世の中の複雑さや理不尽さに触れて極端な考え方に偏りやすい時期。男女共通の制服やセットデザインの洗練はウェス・アンダーソンの世界を彷彿とさせるが、それはつまり自らの美意識に反するものを徹底的に排除した排他的な空間であることを意味する。
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アダルトビデオ監督 二村ヒトシ
恐ろしい映画。不食実践カルトは昔からあるが、これはまさに現在の、日本やアメリカの選挙戦、トランスジェンダーについての考えかたや、フェミニズムについての考えかた等々、自分の感情の傷を癒やすものだけを、いつのまにか暴力的に信じてしまった者だらけになった状況の隠喩だ。リベラルとネトウヨどっちがバカかという話ではない。ほとんどの人類は自分の身体と「えらそうでキモい親」が嫌いだし、さみしくて苦しい我々(そう、我々だ)は真理と真実で洗脳されて死ぬことを欲している。
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映画評論家 真魚八重子
食べないことの行く末が死なのは自明で、それを教師と生徒たちが実践するのは、カルト教団の集団自殺と違わない。他の命を奪わず、雑多なものを身体に入れず、まるで透明な存在のようになりたい理想もわからなくはないが、でも好みの食と出会えなかっただけと言うカフカの『断食芸人』の突き放し方に比べると、まだ気取っている。吐瀉物を食べる不快な描写も、個人的にはまったく正視に耐えないが、やりきる心づもりは評価する。お洒落な色使いと装飾で映画を縁取る美学はある。
モアナと伝説の海2
公開: 2024年12月6日-
俳優 小川あん
モアナがすべての海を繋ぎ、そしてまだ見ぬ人々を探し、航海に出る壮大なストーリー。結果、すべてを成し遂げて、故郷にもどる。全方位から船でモアナに会いにくる各島の村人たち。この姿形が私たちの世界にもあってほしいと、ファンタジーとアニメーションの力で思い知らされた。先祖を敬い、自然と共存する人たちは音楽と踊りで団結する。現代社会はそこからどんどん遠ざかっている。だからこそ、ディズニーが作り出す、この小さくて、でも愛に溢れた勇敢な女性像が必要なのだ。
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翻訳者、映画批評 篠儀直子
偉大な先人が生涯かけても達成できなかった危険な旅に、軽々しく友人たちを巻きこむところで「おいおい」となったが、ことの重大さをその後主人公にきっちり学ばせ、そのうえで物語をしっかり本筋に戻す安心設計。「お姫様(族長の娘)でないと主人公になれないのか?」という限界はあるけれど、このエンパワメント具合はやはり素晴らしい。マウイ(CV:ロック様)が、容貌と関係なく二枚目に見えてくるキャラ描写もさすが。動くタトゥーのミニ・マウイも、ココナッツの海賊も、可愛くてかっこいい。
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編集者/東北芸術工科大学教授 菅付雅信
ポリネシアの神話を基にしたディズニー・アニメ「モアナと伝説の海」の続篇。少女モアナが島の未来をかけた冒険の旅に出る。お供を連れて困難に立ち向かうという冒険譚の元型(アーキタイプ)をディズニーらしいミュージカル込みのジェットコースター・ムーヴィーに仕上げているが、悶絶しそうなほど話が陳腐で、映像がひたすら乱高下する構成のため、三半規管が狂いそうになる。子供向けのアトラクションに深い物語やメタファーなんかいらないと開き直った製作態度が腹立たしい。
山逢いのホテルで
公開: 2024年11月29日-
映画監督 清原惟
山間のホテルで繰り広げられる熟年の恋愛を描いた作品。この主人公のように、障がいをもつ子どもの母が、自己犠牲を強いられることがあることは取り上げられるべきだと思う。そんな彼女の自己実現のひとつとして恋愛を描くことは否定しないが、気になってしまったのは恋愛=性愛という単純化された描写に見えたこと。恋人の研究への興味という精神的繋がりはあるが、それでも過ごした時間に厚みを感じとることができなかったのが残念だった。見たことのない景色たちには圧倒された。
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編集者、映画批評家 高崎俊夫
ジャンヌ・バリバールは、アルレッティからアヌーク・エーメへと受け継がれたフランス映画固有の古典的な面差しをもったヒロインの系譜に位置づけられる女優である。障がいを持つ息子がいる母親がスイス湖畔のリゾートホテルで毎週一人の客と一度だけの情事にふけるという一見、安手のメロドラマじみた絵空事が、ある切実さを帯びて迫ってくるのはバリバールが演じているからにほかならぬ。ベッドで中年にさしかかった肢体を惜しげもなく晒すバリバールにはただただ驚嘆するばかりである。
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映画批評・編集 渡部幻
謎めいた中年女性が壮大なダムの上にたたずむホテルを訪れる。彼女は宿泊客の男性の中から1人選び、ベッドを共にすると、電車で下界に降りていく。彼女は障がいを抱える息子と暮らしている。息子はダイアナ妃のファンで、時代設定がうかがえる。母親の愛情は本物だが、ある男性を愛したことから、女であることと母であることに引き裂かれていく。ぼくも母子家庭なので、母の内なる葛藤を想像したことがあるが、これがデビューとなるラッバスは洗練された視覚言語を使って人生の転機を切り取ろうと試みた。
ザ・バイクライダーズ
公開: 2024年11月29日-
俳優 小川あん
’60sの伝説的モーターサイクルクラブの軌跡。完全な物語に寄らず、その中心にいたベニーの妻、キャシーによるインタビューから軌跡を追うことになる。この形式がますます傍観者として、憧れ・ロマンを掻き立てる。キャシーが走馬灯のようにあの頃の青春を浮かべれば、男のロマンが女のロマンにもなり得るのだ。ベニーのような夫を、わたしもあのような形で苦しみを感じながらも、愛してしまうと思う。ジョディ・カマー、オースティン・バトラーも最高に尽きる。推しのコンビに+★1
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翻訳者 篠儀直子
男ふたりと女ひとりのトライアングルで、中心となるのは(取り合いの対象になるのは)オースティン・バトラーだが、物語自体の中心は若い夫婦ではなく、枯れた魅力と色気が共存するトム・ハーディ。題材から想像されそうなアクションや、バイク走行の疾走感よりも、時代の変化と人生の機微、人物の心理の交錯が作品の主眼。俳優の表情をとらえたクロースアップで、しばしばカット尻を長く残しているのが効果を上げる。「チャレンジャーズ」に続き、マイク・フェイストの柔らかい個性が映画を温める。
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編集者/東北芸術工科大学教授 菅付雅信
60?70年代のシカゴのバイクライダーを捉えた同名写真集にインスパイアされた作品で、アメリカの暴走族グループの栄枯盛衰を描く。カリスマ的リーダーをT・ハーディ、グループ内一匹狼をA・バトラーが演じ、骨太の不良の美学を濃密に描く。劇中にマーロン・ブランドが暴走族を演じた「乱暴者」が紹介され、ハーディがブランド、またバトラーは往年のジェームス・ディーンを彷彿させる。男らしさや不良は今やノスタルジーだが、この命懸けのノスタルジックな美学は魂を揺さぶる。
正体
公開: 2024年11月29日-
ライター、編集 岡本敦史
最初は豪華キャストとシリアスな語り口に目を奪われるが、徐々にリアリティのない展開が目立ち、鼻白む。冤罪というテーマは、袴田巖氏の無罪確定のおかげでまさにアクチュアルな題材のはずだが、いまどき「あの人がそんなことするはずない」「信じてるから」といった人情劇に終始するのは古風に過ぎる。物語の核となる冤罪の形成過程もさすがに甘い。韓国映画を意識したような映像演出もあるが、力技に頼らず確固たる作品理解で「最適な語り口」を見出す本質までは模倣できていない。
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映画評論家 北川れい子
緩急のある手際のいい演出につい身を乗りだす。がいくら娯楽サスペンスという枠の中での話であり設定だと分かっていても、主人公の扱いの乱暴さにはさすがにオイオイ!日本の警察が犯人をでっち上げることは今さら珍しくはないが、一家3人殺しの容疑で逮捕された主人公は、そのままズルズル死刑囚に。その彼が逃亡しての1年間で、TPOに合わせた変身はまさにプロ級、演じる横浜流星、目立たず、騒がず、黙々と、髪型や目つきまで変えて映画を引っ張っている。でもやっぱり乱暴な印象は拭えない。
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映画評論家 吉田伊知郎
原作未読で予備知識なく目にしたので、別々の俳優が同一人物を演じていると信じ込んでしまった。横浜流星の見事な演技の変化は、顔の骨格まで別人に錯覚させてしまう。袴田さんの無罪や、八田與一の逃亡ともリンクするタイミングの公開だけに、現実を上回る虚構を見せて欲しかったが、古典的な“逃亡者もの”に収まった感。前半は犯人情報の提示がTVを通してばかりなのも単調。不利な証言をする重要目撃者の女性や、痴漢冤罪事件など、女が男を陥れるという構図の強調が気にかかる。
ドリーム・シナリオ
公開: 2024年11月22日-
映画監督 清原惟
ニコラス・ケイジ扮する地味な大学教授がたくさんの人々の夢に出てくる、といったあらすじを読んで「マルコヴィッチの穴」的なSF感のある映画なのかと想像していたが、全く違うものだった。起きていることは超常現象でも、それに対する人間の反応はとても現実的で、非のないはずの主人公が、ネットやメディアでの立ち振る舞いによって罰せられていく様に現代の残酷さを見た。主人公の冴えなさの絶妙なさじ加減や、胡散臭いベンチャー企業の若者たちの言動など、ディテールが印象的だった。
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編集者、映画批評家 高崎俊夫
プレスに名優とあるが近年は迷優の呼称がふさわしいニコラス・ケイジがアリ・アスターと組んだホラー。「マルコヴィッチの穴」みたいな不条理コメディを予想したがさにあらず。ケイジ扮する大学教授が何百万人もの夢の中に現れ、一夜明けたら超有名人というアンディ・ウォーホルのマキシムとユング心理学を合体させたようなアイデアは面白い。しかしバカバカしい荒唐無稽な弾けた笑いを期待するも、シリアスな語りで通り一遍なキャンセルカルチャー批判に収斂したのが惜しまれる。
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映画批評・編集 渡部幻
ノルウェー人監督ボルグリの映画では「シック・オブ・マイセルフ」の現代的な自意識の観察に感心した。新作はアメリカが舞台で、キャンセルカルチャーに晒された実在の教授から発想したのだという。ニコラス・ケイジ扮する冴えない教授が、生徒をはじめ様々な人々の夢の中に出てくるようになり、有名人になるが、やがて理不尽な排斥の餌食になる。チャーリー・カウフマン風の夢のイメージはさほどのものではないが、イメージが意識下を侵食して現実感を狂わせるSNS時代の自意識を風刺しようとしている。
アングリースクワッド 公務員と7人の詐欺師
公開: 2024年11月22日-
文筆家 和泉萌香
ネトフリ作品にはまったく疎い筆者でも耳にするドラマ『地面師たち』が流行ったタイミングでの詐欺集団映画は吉と出るか凶と出るか。詐欺集団と脱税王の二、三転する攻防戦を期待したが絶体絶命のピンチもなくクライマックスまで進んでゆくが、内野、岡田、小澤のキャストはハマり役。安心感ある娯楽作だが、もともとは人気スター主演の韓国ドラマがオリジナルとのことで、我々も年々高くなっていくあらゆる税金に苦しめられ中とはいえ、わざわざリメイクする必要があったのか疑問。
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フランス文学者 谷昌親
詐欺師が活躍する犯罪映画である以上、予想外の展開で観客を唸らせることが目指されている。事実、原作にあった設定とはいえ、公務員と詐欺師という意外な組合せは、公務員を内気な男にすることでより際立った。だが一方で、いかに予想外であっても、観客を納得させる着地点を作らねばならないのがこのジャンルだ。つまり、予定調和的になるのであり、そのあたりは上田慎一郎監督の真骨頂ともいえる。だが今回は、すべてがあまりにも予定調和的になってしまったのではないだろうか。
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映画評論家 吉田広明
詐欺集団が詐欺を仕掛ける相手が悪徳不動産屋なので、勧善懲悪、気分良く見られるのは確かだが、素人の税務署員が絡むことでリスクが高まる。というか、部下にも上司にも友人の刑事にも、果ては娘にまで何かしていると感づかれるようでは大丈夫かとこちらが心配になるレベルなのだが、その危うさが計画を左右するキーになるというわけでもなく、天才的な計画の体で話が進むのも疑問。その犯行も地面師詐欺で、ネトフリのドラマの後では描写が雑に見える。
チネチッタで会いましょう
公開: 2024年11月22日-
文筆業 奈々村久生
2020年代に入って2本目となるモレッティの新作は彼自身が映画監督を演じる系譜の一本。ドゥミやフェリーニをはじめ往年の映画界へのオマージュは、時代の変化についていけない高齢者の言い訳のようでもあり、映画言語だけで物事を語ろうとするシネフィルの滑稽さが逆説的に批評性を獲得しているのが皮肉。ただ、プロデューサー役のマチュー・アマルリックと二人、かつて「親愛なる日記」で走らせたベスパから電動キックボードに乗り換え、夜のローマを滑走するカットはいつまでも見ていたい。
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アダルトビデオ監督 二村ヒトシ
ナルシシズムが強い政治的な男性の映画関係者が主人公の、古い映画をいろいろ引用してるらしき(そんなことを言われたって古い映画ぜんぜん観てないからわからん)映画についての映画が苦手だ。映画という表現そのものを否定するオチにでもしないと、結局は主人公の人生を肯定して終わることになる。なぜそんな特権をもてるのか。巨匠モレッティ70歳でお元気なのは結構だが、たけし(も76歳か)の暴力映画のナルシシズムのほうがいい。死者と敗者の(だよね?)行進も、感動できなかった。
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映画評論家 真魚八重子
撮影中の映画が資金難で暗礁に乗り上げた監督をモレッティ自身が演じる。イタリア共産党の話らしいが政治的意図は感じないし、プロデューサーの妻が担当している若手監督の現場に乱入し、撮影を止めてしまう狼藉に?然とする。みずから老害という宣言か、本当に昨今の作品が観るに堪えないと思っているのか。チーヴァー原作の「泳ぐ人」を撮りたいという発言も、すでにバート・ランカスターの名作があるのに、それを超えられるつもりなのか、どういう心理か測りかねる。
六人の嘘つきな大学生
公開: 2024年11月22日-
ライター、編集 岡本敦史
全篇「帰んなよ、もう」と思いながら観ていた。そんな選考方法で新入社員を選ぶ会社なんざ願い下げだと、最近の優秀な若者こそ思うのではないか(一応、平成末期っぽい設定だが)。劇中のセリフどおり「いい会社に入ることしか考えてない学生」としか、作者が登場人物を見ていないことに辟易。優位に立つ目上の者(企業)に対してまるで反発しないまま自己解決を図る社会人のタマゴという、リアルなモダンホラーを描くならわかるが、誰もそこを突破しないので風通しはすこぶる悪い。
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映画評論家 北川れい子
就活中は月と同じで表面しか見せない、と6人の1人が言う。世間では、外側は本質である、とも言うけれども。ま、それはともかくこの作品、ただ漠然と観ている分には面白くなくもないが、次々と1人ずつ槍玉に挙げて相手の弱みや過失をいじくり蹴落として、という展開は、かなりイヤラシく不愉快で、次第に6人が哀れに見えてくる。むろん、どんでん返しのための仕掛けではあるのだが、就活生でオハジキごっこをするな!と脚本、監督に喝をいれたくなったりも。6人の俳優たちはみな頑張っているが。
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映画評論家 吉田伊知郎
「大学は出たけれど」「就職戦線異状なし」「何者」に連なる就活映画だが、本作では企業が昔ながらの身辺調査で堂々と素行をあげつらうので驚かされるが、一捻りしてある。しかし、グループディスカッションでどんな暴露があっても、最初に設定した時間ごとに投票を行うことを全員が律儀に守るところからして就活ゲームでしかない。6人採用予定の企業が急遽1人のみに変更した時点で経営が危なそうなのはともかく、浜辺だけが正義のまま傷つくこともないのはかえって損な役回り。
対外秘
公開: 2024年11月15日-
文筆業 奈々村久生
地方の一政治家から国政を目指す男のなりふり構わぬ奮闘と復讐劇に、釜山国際映画祭のお膝元でもある海雲台エリアをめぐる利権ドラマが絡む。人々の思惑が入り乱れ、誰にとっても思うようにいかない選挙戦が終盤で見せる驚異的なねばり。韓国版「最後まで行く」で怪演を披露したチョ・ジヌンの終始胡散くさい立ち回りは、人は環境次第で善にも悪にも簡単に転ぶという現実をあまりにも人間らしく証明した残酷なサクセス・ストーリーでもある。剃髪で役に臨んだイ・ソンミンの異形っぷりも見もの。
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アダルトビデオ監督 二村ヒトシ
韓国でも、もちろん日本でも、いちおう民主主義だってことになってる国で政治を仕事にするというのは本当にこういうことなんだろう、人も本当に殺されるんだろう。映画を観るほうもそのくらいのことは思ってるし、応援したくなる魅力的な登場人物が(女性記者もふくめて)誰もいないので、「衝撃のラスト」に衝撃がない。もっとヤクザを悲しい造形にしておくとか、主人公が最初のうちは本物の正義の人であるとか、やりかたはあっただろうに。政治に呑気に絶望している場合ではないと思うのだが。
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映画評論家 真魚八重子
ポリティカルドラマ、または土地の再開発をめぐって動く大金を狙った出し抜き合いの物語。……でありつつ、核となるのは他の登場人物たちを削り落としていって、残った男二人の、知能と暴力的感覚を最大限に活かした決闘である。自らの陣営の重要な駒となる人物の、どれを泣く泣く潰して地盤を固め、相手の意表を突いて失脚させるかという頭脳戦だ。相手を蹴落とすはずの証拠も過信すると、思いがけないしっぺ返しが来る。地味だが最後まで予想がつかない良質なサスペンスだ。
動物界
公開: 2024年11月8日-
俳優 小川あん
高い完成度のハイブリッドな作品。人間が動物化する感染ウイルスが国内で蔓延するような漠然とした世界観から、家族間の私的な問題へ移行し、さらに主人公が直面した個人の尊厳へと帰結する。これまで多くの映画で使用された題材が組み込まれているが、扱いはもっと繊細だ。その細部の描写がリアリティに富んでいて、現代社会とさほど遠くない。とくに、結末で親子が下した判断からは、そうせざるをえなかった社会の傲慢さと、適応する環境へ身を運ぶ必要性を汲み取った。
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翻訳者 篠儀直子
古くから神話に見られる変身譚の変奏のようでもあり、ボディ・ホラーの流れの一環のようでもあると同時に、昨今の世界に照らしてさまざまな読みが可能な物語。参照作として監督が挙げている作品とは別に、筆者が連想したのは1940年代RKOプログラム・ピクチュアの古典群で、そうするともう少し簡潔にまとめてほしかった気もするのだが、南仏の美しい風景、学校の授業の様子などの描写が、荒唐無稽と思われそうな世界を見事に日常に着地させる。エミール役のポール・キルシェの演技は天才の域では。
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編集者/東北芸術工科大学教授 菅付雅信
人間が動物に変異する奇病が蔓延する近未来のフランスが舞台。主人公の男性料理人と動物に変異しつつある妻、そして自分の体の異変を感じる息子の三人を軸にした近未来SF。変異した人間を隔離・攻撃する側と同じ人間として扱う側の軋轢というコロナ・パンデミックのメタファー的設定とギリシャ神話に通じる半獣神というモチーフを用いて、荒唐無稽な設定にヨーロッパ映画ならではの思索的リアリズムを導入することに成功。抑制の効いたVFXも見事な完成度で、深い共感を呼ぶ「明後日の神話」。
ベルナデット 最強のファーストレディ
公開: 2024年11月8日-
文筆業 奈々村久生
かつて男性のサポート役としてその功労が描かれてきた女性の活躍を表舞台のものにする時代の流れと、大統領の妻であったベルナデット・シラクの実話を上手く融合させたストーリーテリング。宿敵サルコジとの間での立ち回りやプライベートな家族問題まで過不足なく詰まっていると同時に、女性エンパワーメントのフォーマットに沿って口当たりよく記号化されているような側面も。その上でドヌーブの鷹揚なコメディセンスが光る。特にフランスらしいエスプリの効いたシニカルなセリフの返しは絶品。
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アダルトビデオ監督 二村ヒトシ
政治を語るために人間を出すんじゃなく、人間を語るために政治がでてくる。こういうふうにやってくれると政治も映画の題材として面白いんだよなあ。現実のベルナデットの写真や映像によるオープニング直後、まったく似せる気がないドヌーヴがぬけぬけとでてきて笑った。観た人の多くがしびれるだろうラストの個人的な一言を言わせるためだけの、一国の一時期の政治史。こんな映画、日本でも作れないもんかね。同世代の関係者みんな死んでからでいいので安倍夫婦の奇人ぶりを描くとかさ。
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映画評論家 真魚八重子
フランスのメジャー映画はときどき演出がダサい。日本の娯楽路線の寒い笑いの映画に近いものがあって、本作も登場人物の善悪の分かりやすさが短絡的すぎると感じる。映画の中に一貫性が足らず、自立を図ろうとするベルナデットが、夫に秘密で大胆な政治的行動を取りながらも、夫の脅しでひるんでしまうなど、どっちつかずの演出が目に付く。誰の意向なのか、現実のベルナデットの洗練された服装に比べて、ドヌーヴが徹底してゴテゴテした趣味の悪い衣裳をまとうのも不思議だ。
イマジナリー
公開: 2024年11月8日-
俳優 小川あん
ある意味で主役は、主人公ジェシカの継娘のアリス。名前からしても「アリス・イン・ワンダーランド」? これは、ホラー映画ではなくて、ファンタジーでしょう。そもそもイマジナリー・フレンドはホラーではなくて、心理学で一種の現象とされている。それが本作では擬人化して、過去のトラウマと結びついた。開けゴマ!的な瞬間や、深層世界を見るのは楽しいけれど。あの、あからさまに怪しいお婆ちゃんの消え方は無茶苦茶だし、もっと違った形でコミットしたほうがよかったのでは?
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翻訳者 篠儀直子
ホラー映画として進行していたのが、クライマックス以降完全にバトル映画と化して全然怖くなくなるのも、女性たちが連帯して戦うのも、以前ここで取り上げた「死霊館のシスター 呪いの秘密」と同じなので、最近のトレンドなのだろうか(特に後者についてはそうだろう)。恐怖がじわじわ迫ってくる描写も、主人公が夫の連れ子姉妹との関係に悩みつつ、自分の過去へと降りていくというアイディアも悪くないと思うが、フリだと思えた箇所がいくつか結局機能しないままだったのは、息切れしちゃったの?
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編集者/東北芸術工科大学教授 菅付雅信
「ゲット・アウト」「M3GAN/ミーガン」で知られるブラムハウス・プロダクションズと「ソウ」シリーズのライオンズゲイトがタッグを組んだホラー。少女が愛するテディベア人形が巻き起こす恐怖を描く。プロットを聞いただけで「ミーガン」×「TED」かよ?と想像すると、想像以下の展開に。テディベアを使った恐怖描写があまりに凡庸で、せめてミーガン人形のようなダイナミズムが欲しいもの。こんな安易な企画でも、子どもにはぬいぐるみへの要らぬ恐怖心を与えてしまうだろうから、製作陣は猛省してほしい。
本心
公開: 2024年11月8日-
文筆家 和泉萌香
人工知能の発達や記憶というテーマをめぐって、二十世紀から今までさまざまな物語や映画がつくられてきた。本作では「自由死を選んだ母の本心」というミステリを出発点に「格差」に「愛」などテーマは広がるも、すべてつまんだようで半端な印象がぬぐえないし、取ってつけたようなダンスシーンにも鼻白む。しかし某大ヒットアニメ映画の際にも同じような指摘がされていたが、まったく必要とも思えない、ポルノの見過ぎと言いたくなるような台詞を10代の女の子に言わせるのは一体なんなのか。
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フランス文学者 谷昌親
すぐれた原作があり、実力のある俳優陣が揃い、優秀なスタッフが控えていれば、成功作となる素地はできている。AIや仮想現実がテーマとなると、話題性にも事欠かない。しかし、すべての要素が集まっているからこそ、それをどう組み立てていくかが問題で、監督の演出術がより大事になる。石井裕也監督は、壮大なテーマをはらんだ物語を、ある意味ではごく素朴に、それでいてきわめて繊細に扱った。むやみにCGを使わず、簡潔に撮り上げる演出のもとで、物語に生命が宿ったのである。
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映画評論家 吉田広明
AIが死んだ母を生成するということの倫理的問題、また息子の心理的揺らぎがメインのはずだが、自死の問題(権力による福祉負担減少の狙いも)、アバターの行動代理(リアルの負担が弱者に負わされる格差構造)といった副筋が入り込んでくるため焦点がぼやけ、まとまりが弱化。AIによる人格生成自体が込み入った複層的な問題を提示することは分かるし、塊を投げつけるかのような演出が監督の持ち味であることを承知したうえで、より丁寧な作劇が欲しかった。
ルート29
公開: 2024年11月8日-
文筆家 和泉萌香
緑が毒々しいくらいに鮮やかで、多様なイメージとともに生と死、幻と現実、そしてふたりのやりとりにもあるように、他者と自分の夢が交わるような場所にひかれた道をゆったりと進んでゆく。面白いのが狙ってか狙わずしてか、主人公のふたりだけが見えているであろう景色のみが生き生きとみえ、どうにも相容れないであろう他者の描写は(たとえ肉親であっても)どんよりと冗長だ。社会が介入したあとに、ついには観客の目にもみえるかたちで夢が噴出するラストシーンが潔く、美しい。
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フランス文学者 谷昌親
原作が詩集だからでもあるのだろうが、それこそ詩的であり、同時に、乾いたユーモアで彩られ、一風変わったロードムーヴィーになっている。しかも、ラストにはファンタジー的とも呼べるシーンが置かれている映画だ。そうした映画のあり方から逆算したのかもしれないが、独特の演出法が採られている。それは、森井勇佑監督の才気煥発ぶりを示す演出でもある。しかし、こうした演出をするのであれば、エピソードを少し刈込み、もっと省略表現を効果的に用いるべきだったのではないか。
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映画評論家 吉田広明
原作となる詩集を未読なので、そこからどのように想像力を働かせてここに至ったのかは評価しかねるのだが、しかしいくら詩集からの映画化とは言えこの緩さはどうなのか。ロードムービー自体が緩い枠組みではあり、しかしそれが生まれるには歴史的必然があった筈で、その意識が欠けた本作では単に人と次々出会うための形式に過ぎない。変な人たちをロングで、変な間で捉えれば面白くなるのか。新進なら水平的な加算でなく垂直的掘り下げの困難な道を選ぶべきでは。
ゴンドラ(2023)
公開: 2024年11月1日-
文筆業 奈々村久生
空の上ですれ違う二台の赤いゴンドラ。交わる視線。交互に訪れる停留所で指し合うチェスの対戦。 二人の女性乗務員の交流がセリフなしで語られる、一目見ればそれとわかるスタイルは「ツバル TUVALU」などのファイト・ヘルマー監督のもの。更衣室での目撃カットから漂うそこはかとなく官能的な匂い。山あいに生きる人々の生活音が音楽を奏でるミラクル。シンプルでミニマムなコミュニケーションの限りない豊かさ。夜の闇に浮かぶライトアップされた車体が彩る密会は涙が出るほど美しい。
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アダルトビデオ監督 二村ヒトシ
セリフがなくなるだけで我々観客はこんなに目を使うようになり、こんなに画面の情報量が増すものなのか。ちょっと衝撃だった。すべての脚本家と監督は(まあアニメだと商業的に難しいだろうが)台本をつくりながらセリフというものは本当に必要なのか、セリフがなかったらその物語は成立しないのか、一度は真剣に考えてみるべきなんじゃないか。セリフがないと恋愛というものが成立していく過程がゆっくりゆっくり感じられる。ただ寓話なだけに「悪役」は割をくってて可哀想だな、とは思った。
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映画評論家 真魚八重子
山の谷間を交差する二つのゴンドラ。それぞれに乗る二人の女性添乗員は、すれ違うとき互いに悪戯をして楽しむ。全体に他愛もないが、その様々な意匠の凝らし方が、可愛らしい企みで微笑ましい。彼女らの恋が距離を縮めるにつれて、地上も巻き込んだ祝祭となっていく。男性同士の恋愛だと、こんなに屈託のない作品にはならず現実の苦が滲む。幸福感だけに満ちた男性同士の愛の映画の不在と、男性監督にとって女性同士の恋愛は、結局ファンタジーであることの露呈を同時に感じる。
ノーヴィス
公開: 2024年11月1日-
映画監督 清原惟
大学でボート部に入部し、異様なまでに勝ちに執着する主人公の心理を描く作品。はっきりとは明かされないが過去のトラウマによる傷を抱えている彼女の心のうちを、スポーツという行為を通して紐解いていくアプローチに惹かれる。部活内での人間関係の話と思いながら見ていると、急に彼女には見えていない物事の側面が現れて、自分自身が彼女の世界に閉じ込められている閉塞感と、妙な高揚感を感じていた。彼女の感知する世界を、音を使って表すのは古典的ではありながらも没入感がある。
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編集者、映画批評家 高崎俊夫
ふと虫明亜呂無の『ペケレットの夏』が脳裏を掠める。競漕に魅せられ、自ら得体の知れぬオブセッションに取り憑かれたヒロインからいつしか目が離せなくなる。仲間との軋轢、嫉妬、統御しがたい内攻する感情の奔出。反復される、朝まだき河川のトレーニングの光景がすばらしい。素肌にまといつくような豪雨、水と大気の匂い、筋肉の弛緩、水面を滑走するオールの官能的な肌触りが生き生きと伝わってくる。異化効果のようなB・リー、C・フランシスの甘い60年代ポップソングも特筆ものである。
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映画批評・編集 渡部幻
一般的なスポーツ映画ではないことは、「エスター」のイザベル・ファーマン主演から想像していた。大学のボート競技ローイングの訓練に取りつかれた女性の強迫観念を観る者に追体験させる視聴覚的な緊張感が、同時に新鋭監督ハダウェイ自身の衝動を感じさせて特異である。アロノフスキーの「ブラックスワン」の影響は明らかだが、しかし、この主人公の狂的な完全主義は、特訓映画にありがちな外的な圧力に起因するものではなく、完全に内的な強迫観念に起因している。この点にこの力作の現代性があった。
スケジュールSCHEDULE
映画公開スケジュール
- 2024年12月25日 公開予定
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勝ち切る覚悟~日本一までの79日~
2024年シーズン終盤からポストシーズンまでの79日間をメインに、横浜DeNAベイスターズが、セ・リーグ3位から日本一へと駆け上がった舞台裏と選手たちに密着した公式ドキュメンタリー。
- 2024年12月27日 公開予定
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I Like Movies アイ・ライク・ムービーズ
トロント国際映画祭で世界の映画好きを熱狂させた青春コメディ。レンタルDVDが全盛だった2003年のカナダで、大学で映画を学ぶために学費を稼ごうと地元のビデオ店でアルバイトを始めた高校生ローレンスが様々な人と出会いながら、不思議な友情を育んでゆく物語。監督は本作が長編デビューとなるチャンドラー・レヴァック。 -
『宇宙戦艦ヤマト』放送50周年記念セレクション上映 プログラム1
「『宇宙戦艦ヤマト』放送50周年記念セレクション上映」と題して、『宇宙戦艦ヤマト』TVシリーズ全26話から庵野秀明氏が3プログラム×各3話を選出し劇場上映。
TV放映スケジュール(映画)
- 2024年12月22日放送
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02:45〜04:35 テレビ東京
アラクノフォビア
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12:00〜14:30 BS松竹東急
舟を編む
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18:15〜20:54 BS日テレ
源氏物語 千年の謎
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19:00〜20:40 TOKYO MX
クレイマー、クレイマー
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21:00〜22:54 BS-TBS
グレムリン